2019年10月07日

言葉の力 (大岡 信)

 

発表会が終了して、もうすぐ1ヶ月です。

発表会の準備で大忙しの時に見つけた、文章があります。


 中学の教科書に載っていました。

 幼心に、桜の皮からとれるピンク色が、心に焼き付いていました。

 どうしたらこんな表現が出来るのだろう。

 どうしたら、こんな事が出来るのだろう。

 時々、何度も読み返したいと思った文章です。自分の忘備録のためにも、転載させて頂きます。

 今日も晴天の八千代です。

 どうぞ好き1日をお過ごしください!!



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言葉の力        大岡 信


 人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。


 京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。


「この色は何から取り出したんですか」

「桜からです」


と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。


 私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。


 考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。


 このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。美しい言葉、正しい言葉というものも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。

                           (中学校『国語2』、光村図書出版)

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2018年04月08日

岡本太郎さんの、鋭いコトバ

毎日ブログ更新を目標にしていますが、できない時もしばしば。。。とはいえ、結果、いろんな事が自分のためになっていて、自分でも驚きます。
最近気づいたことは、忙しいせいにして、自分のやりたいことが出来ない、と思い込んでいること。この想い癖をやめたいと思います。あ〜がんばろう

ということで、ブログの更新を早めにしてみることに


「ほぼ日」というところで売っている「ほぼ日5年手帳」という商品があります。今年からの取り扱いだそうです。
コンパクトで使いやすそうなので、買ってみました。

そこに、「ほぼ日」で紹介された記事の中から、抜粋されたエピソードが載っています。
今の私にフィットした言葉があったのでご紹介します。

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「他人が笑おうが笑うまいが、
自分の歌を歌えばいいんだよ。」
-------岡本太郎さんの言葉「TARO のひとこと」より

岡本太郎さんの言葉、どストライクで、胸を打ちます。
ほんまや〜自分の歌を歌おう!!
なんて、ちょっと夜中のテンションです。笑笑。
いや、太郎が言うんだから、間違いない。

このブログも、突けばいろんなツッコミどころが浮き出てくるかと。でも、きっと、自分なりの努力を重ねて、自分が納得のいく言葉を紡ぎ続ければ、きっと笑われることも気にならなくなるんだろうなぁ、なんて思います。

まだまだアラフォー。まだ続くであろう人生、高らかに歌えたらいいなぁ。

やっぱり夜中のテンション。笑笑。

今年のヒノキの花粉、去年の400倍と聞いたのですが、本当でしょうか。。。
花粉のケアもしながら、良い週末を!!!




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2017年10月17日

人生はいつも今から始まる(三浦雄一郎)

登山家でプロスキープレーヤーの三浦雄一郎さん。80歳最高齢でエベレスト登山に成功された方です。

テレビで、20キロのリュックを背負い、片足1.5キロの重りが入った特注の靴を履いて、45分かけて紀伊国屋書店まで歩かれる(ヘビーウォーキング、と呼ばれてるそうです)お姿を見てから、勝手にリスペクトしています

著書の「やめる勇気、やり遂げる心」を読みましたが、心にずっしりくる事がたくさん。。。実行力のある方のお言葉は、心への届きかたが違うなぁと、感銘を受けました。

 その中でも、私の中で一番にずっしりきたのが

「人生はいつも今から始まる」

という、フレーズ。

 余命3年と言われたお身体から(その時は65歳)見事に復活。70歳でエベレスト登山に成功されました。

もともとプロのスキーヤーになられたのも28歳。その世界では遅いスタートで、周りには無理と言われたそうです。若い頃から、今からがんばれば良いというのが、モットーだそうです。今やらなければ、次の日には一つ年をとっている。今が生きてる中で一番若い、のです。うむーーー。

 少しでも前に進むことを、コツコツマイペースでしていれば、必ず目標にたどり着く。シンプルだけど、この気持ちは大事やなぁ。

 大人の人にも、若い人にも、大事な感覚だと思えました。

三浦雄一郎さんリスペクト熱が冷めやらない嘉本です。がんばっている方を拝見すると、背筋がピンとします。まだまだ出来ることは転がってるなぁと思うのでした。がんばるぞぅ

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2017年07月12日

マザー・テレサ

時々、思い出したくなる、というか、何度も反芻したくなる、言葉です。
マザー・テレサが残された言葉で、心に響くものはたくさんあるのですが、今日はこちらをご紹介します。というか、私の忘備録として。。。


人は不合理、非論理、利己的です

気にすることなく
人を愛しなさい


あなたが善を行うと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう

気にすることなく 
善を行いなさい


目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう

気にすることなく
やり遂げなさい


善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れ去られるでしょう

気にすることなく
続けなさい


あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう

気にすることなく
正直で誠実であり続けなさい


あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう

気にすることなく
作り続けなさい


助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう

気にすることなく
助け続けなさい


あなたの中の最良のものを
この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても

気にすることなく
最良のものをこの世界に与え続けなさい


最後に振り返るとわかるはず

結局は
全てあなたと内なる神との間のこと なのです

あなたと他の人の間のことであったことは
一度もなかったのです


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マザー・テレサ (1910〜1997)
Wikipediaより


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2017年06月28日

上善水の如し(老子)

水の話が出たり(お白湯を飲むパート2)、梅雨らしくなってきたので、久々の生きる言葉シリーズで、水のお話〜。

「上善水の若し」
〜原文〜
上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。

〜書き下し文〜
上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず、衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。居(きょ)には地が善く、心には淵(えん)が善く、与(まじわり)には仁が善く、言には信が善く、正(政)には治が善く、事には能が善く、動には時が善し。それ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)め無し。

 ちょっと難しく感じる出だしになってしまいましたが大事な原文そのまま載せたかったのでございます。

お酒で有名なので、言葉は知っていて、なんだか良さそうだなって雰囲気はあります。

さて!どんな意味かっていうと…

 最も善い、善良な人とは、水のようである。
全ての人・モノに施しながら、争うことをしない。
 全ての人が忌み嫌う所にも平気でいる。
そこが、聖地であるから。

人々の一番低いと思われる地位で暮らし、心の器は深く、人々との関わりには仁を最善とし、発する言葉には信用が善く現れ、ルールには皆が納得する治まり方が現れ、事が起こると能力が現れ、バツグンのタイミングで行動を起こす、それが、善良の人である。

 善良の人は、ただ争わないでいいて、流れるように生きているのである。(それはまるで水のようである)

…のような意味です。
こんな老子が大好きな私なのでした

む、難しいかな???
漢文見ると、難しく感じますが、生きやすくするヒントがいっぱい詰まっていて、老子は大好き。
 また登場すると思います

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2017年04月16日

万事塞翁が馬

どうしてもどうしても、手に入らなくて、大泣きしたことも、ずーと月日が経ったあとに、なんてこった、手に入らなくって良かった…
なんてほっとするというか、驚くようなご経験はないでしょうか?
その他に、気付いていなくても、人生が無難に過ぎているこたは多々あるのかも?災難と思われたことが、逆にラッキーに繋がることも…

「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」


 占いの得意な翁(おきな=おじいさん)が、国境の塞(とりで)の近くに住んでいました。
 ある日、その翁の馬が逃げ出して、北の地へ逃げてしまいました。周りの人々が「残念ですね」と、なぐさめにいくと、翁は「いや、このことが、福になるかもしれない」と言いました。

 それから数ヶ月後。なんと、その翁が言ったとおりに、逃げた馬がもどってきました。さらに、すばらしい名馬も一緒に連れて帰ってきたのです。周りの人々が「良かったですね」と、お祝いにいくと、翁は「いや、このことが、禍(わざわ)いになるかもしれない」と言いました。

 翁の家にはどんどん名馬が増え、翁の息子は乗馬が大好きになっていきました。そしてある日、翁が言ったとおりに息子が落馬して、股(もも)を骨折する重傷を負ってしまいました。周りの人々が「かわいそうなことになりましたね」と、お見舞いにいくと、翁は「いや、このことが、福となるかもしれない」と言いました。

 それから1年後に、戦争が起こりました。近くの若者の10人のうち9人までが死んでしまうようなかなり悲惨な争いとなりました。ところが、息子は落馬のせいで足が悪かったため兵役に出ることはなく無事でした。やはり、翁が言ったとおりになったのでした。
(ことばのレシピ 娯楽さんより転載)


 最近は、どんなことが起きても、この言葉のおかげで、飄々としている気がします。あ、ちょっとは動転しますが(笑)


 明日は明日の風が吹く。

為せば成る。


今日も、明日も、がんばろう!

posted by 嘉本京子 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 生きる ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月14日

大器晩成は、大器免成かもしれない

たまには、真面目な話を
有名な、大器晩成、という言葉があります。
歳を重ねて往年のころに成功をおさめて大物になること、のように使われています。
中国の老子の言葉です。
しかし、「晩」は「免」だったという説がでてきているそうです。

大器は完成しない。(免=そうはならない)

本物、大物は、完成することはない。
完成するものは、本物、大物でない。

「あー、やったー、できたー!!」
と思った瞬間、できなくなります(笑)

完成することは、目指すことではなく、そもそも完成するってことがないのだよ、と老子に笑って言われてるよーな気がします。

往年のバレリーナ、ダンサーの方も、自分の踊りはまだまだで、いつも発見がある、とおっしゃる方がほとんどです。

もくもくと、レッスン、リハーサルしている時がシアワセでございます。

こんな感じで、老子の言葉はドキリとすることが多くて、大好きなのでした

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(何かを悟ったように遠くを見つめるブヒ。)



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2017年03月10日

これでいいのだ

毎日それなりに一生懸命がんばっていると、ある時に、突然、脳裏にピカッと電球がひかるような、そのとたんにガラガラと何かが崩れるような、心の曇りがさーっととれて晴れ渡るよーな、そんなご経験はないでしょうか‥

最近、そんなことがありました。

おヒョイさんこと藤村俊二さんの訃報のニュースが飛び交ったころ。いろんなエピソードを聞いたり読んだりしておりました。生前ゆかりのある人々が、最初は悲しそうな面持ちですが、おヒョイさんを思い出して話しているうちに素敵な笑顔になるのです。いろんな方に寄り添い、そっと人々を笑顔にされてたんだろうなと、お会いもしたこともないですが、想いを馳せて、すごいなぁと思っていました。
病気をよくされたそうで、胃がんの手術されたとか。術後のインタビューで、今のお気持ちはと聞かれて「まあ、こんなもんでしょ」とお答えになられたとか。うーん、すごいです。
でも、この、「まあ、こんなもんでしょ」が、今の私には魔法の言葉でして。
(まあ、まあ、今の私には、こんなもんじゃない?)と思うと、あれもやってこれもやって‥としている自分がただ欲張ってることに気づけるのでした。ありがたやありがたや‥霧が晴れるような思いでした。
足るを知るって、こんな感じなのでしょうか。
正しく諦めるって、とても大事に思いました。
そうやって気持ちが落ち着くと、逆にどんどん用事が片付きますから不思議です。

あと、もう一つ解決。
昔から不思議な世界観だなーと思ってた、バカボンのパパ。
その名セリフ「これでいいのだー」は、そういうことだったのかー。と思いました。
「天才バカボン」今ならまた違った感じで見れるのかなぁ。天才なのに、バカボンなんですね。深そうなそうでないような‥
そんなことを考えながら、夜が更けていくのでした‥

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名ゼリフ付き!バレエとは程遠い図ですみません

おヒョイさんは振付師もされていました。軽い身のこなしはダンサーだったからなのですね‥裏方が好きで表に出たくなかった、というエピソードも好きなエピソードです。時間は経ってしまいましたが、ご冥福をお祈りいたします。
posted by 嘉本京子 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 生きる ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

「ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられている作者不詳の詩

 覚えることはできない長い詩ですが、優しい気持ちに溢れていて、ほころんだ気持ちもすっと落ち着きます。
 アメリカの田舎の教会にあった、南北戦争の無名の兵士の詩だそうです。それを見つけたある議員(アドレイ・スティーブンス アイゼンハワー大統領の対立候補)がクリスマスガードとしてラスク医師に送り、それを患者に見せたこたが始まりで、後に、ニューヨーク大学医療センター・リハビリテーション研究所の「信条」になったそうです。

  
大きなことを成し遂げるために
  力を与えてほしいと神に求めたのに
  謙遜を学ぶようにと
  弱さを授かった
 
  より偉大なことができるようにと
  健康を求めたのに
  人生を間違わないようにと
  病弱を与えられた

  幸せになろうとして  
  富みを求めたのに
  賢明であるようにと
  貧困を授かった
 
  世の中の人々の賞賛を得ようとして
  成功を求めたのに
  神様の存在に気付けるようにと
  弱さを授かった

  人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
  あらゆることを楽しめる命を
  すでに授かっていたことに気づいた

  求めたものは一つとして与えられなかったが
  願いはすべて聞き届けられた

  神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
  心の中で言い表せないものは
  すべて叶えられた

  私はあらゆる人の中で
  もっとも豊かに祝福されていたのだ



《原文》

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED


I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey

I asked for health, that I might do greater things

I was given infirmity, that I might do better things


I asked for riches, that I might be happy

I was given poverty, that I might be wise


I asked for power, that I might have the praise of men

I was given weakness, that I might feel the need of God


I asked for all things, that I might enjoy life

I was given life, that I might enjoy all things


I got nothing that I asked for, but everything I had hoped for 

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered


I am among all men, most richly blessed



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《我が家にいる、天使たち

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2017年02月15日

恩師の残したことば 〜 命日に恩師を偲ぶ

2月15日、本日は恩師 故佐藤多恵子先生の命日にです。バレエを教えているおかげか、先生を想うことも多々で、1年経っても、おそらくこれこらも、それは変わらないのだと思います。

先生の教えが大好きでした。助手をしていた頃(当時はカセットテープでレッスンとリハーサル。先生のやりたい事を汲んで、曲の頭出しをするのが、大変だけど楽しかった)先生から飛び出す名言や、先生を中心に生き生きと子供たちが踊ることが、本当に楽しくて。

先生の名言は、教え子たち、そして佐藤バレエの宝物であろうと思います。私個人がブログに書く事を迷ったのですが、まだ見ぬ人たちの一助になるかもしらん、と思いまして、私のブログで恐縮ですがご紹介しようと思いました。
多恵子先生の息が吹きかかったことばたち。時が経ち、時代が変わっても、色褪せないことば。
多恵子先生に敬意を込めて…

「女は度胸」
 バランスを取る時に、もじもじしてると、この言葉が飛んできました。豪快なように見えても、とても繊細だった多恵子先生が、幾多の困難を乗り越える時に体得した言葉だったのかも、と今思います。言葉に説得力があるのです。短い言葉に、伝えたい気持ちが凝縮される、そんな教師になりたい、と思います。

「よくみて よくきいて すぐやる」
 注意が散漫になりがちな小さな子供たちに。スタジオのベビーちゃんたちみんなで「バレエのあいことば」として、大きな声で言います。今、何をすべきなのか、小さくったって的確に伝えれば、瞬時に理解して、変わります。

「他人(ひと)の注意は自分の注意」
レッスンしていると、個々への注意をしますが、上手な子というのは、どんな注意も耳をそばだてて聞いて、貪欲に練習しています。謙虚な姿勢でいると、上達する術は流れるように届くのでしょうか。今はこのことばもスタジオの合言葉にさせてもらっています。

「生きたことば」シリーズとして、これからも心に響くことばに出会ったり思い出しましたら記事にしていきたいな、と思っています。


4D6EA651-C826-4321-9C23-8AC2C02BC2B9.jpg《先生が生前大好きだったガーベラ





posted by 嘉本京子 at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 生きる ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする