今日は、さらに真面目に。
こんなに毎日、ブログを書いていて何ですが、言葉の力とは、本当にチープである、と思ってしまう。
どんなに素晴らしい言葉を並べても、素晴らしいピアニストの演奏を聴いた時の心が震える感動には到底叶わない。小説家の方には本当に申し訳ないのですが。
名前をつけたりしてその場に固定しようとしたものは、死んでしまうのではないか、そんなふうに思ってします
だから、音楽が全て素晴らしいかというとそんなこもとなく。言葉で説明できるような音楽になった途端に、その音楽は死んでしまう「こんなふうに演奏しよう」とか「ここはもっとこんなふうに演奏して」とか「次はこうやってひこう」なんて言葉で喋ってしまった途端に音楽ではなくなる。
もちろん、踊りもそうなのだと思うのです。
もしかしたら、小説もその域でペンを走らせた物語は死んでいないのかもしれません。
テレビは死んだものの結晶、でしょうか。「面白おかしく見せてやる」とか「私はこんなに可愛い」とか「この商品はここが美味しくできていますよ」とか、全部言葉で説明できるものばかり。時々そうでないものももちろんありますが。
私たちは、死んでいるものに囲まれすぎたように思います。
「サンタさんがやってくる!!」と子供たちが胸を躍らす時。
サンタなんて本当に見たことがある人なんていないのに。サンタは確実に心の中で生きています。
「風」を感じる時。
風なんて見たことがないのに、感じることができます。風は生きている。心の中で風が疾風します。
ただ、風を説明しようとした途端に、風という概念が死んでしまいます。心の中で「データ」という無機質なものに変わります。
私たちは、概念でできている。
概念を「一瞬」で体現できるのが、音楽であり、踊りであると思うのでした。
概念を説明した途端に、無機質なものになり死んでしまう。死んでいるのに、生き返らせようとしてまた必死に説明しようとしたりして。
そうではなく、安心して、概念を感じる。風を感じる。サンタを感じる。そこで私たちは生きている。
音楽も、踊りも、言葉で説明できるものになってしまわないようにと思うのです。
超絶素晴らしい永遠の命を与えられた作品は、絶対に、後から色々説明を加えただけであって、理屈を超え、言葉を超えて、この世に生を受けていると思うのでした。
そんな風景になるべくたくさん出会いたい、と思うのでした
「英国ロイヤルバレエのロミオとジュリエット」は、幕が開いて閉まるまで、その空気で満たされていました。あれは何だったんだろう、と思うのです。
「君たちはどう生きるのか」宮崎駿監督の映画は、目が回るほど理解不能のお話だったけど、強烈に心に残っています。あれは何だったんだろう、と思うのです。
11歳の天才ピアニストが奏る「バッハ」を聴いて、これはなんだ!?!?と思うのです。
クラシックもジャズも弾きこなすピアニストの音楽を聴いて、これはなんだ!?!?と思うのです。
美空ひばりさんの歌を聴いて伝わる情景に、これはなんだ!?!?と思うのです。
「これはこういうことですよー」と説明されていないのに、瞬時に何かが伝わる。この不思議。目に見えないものの力が絶大すぎます。
「これは◯◯です」と説明できる世界から遠ざかり、「これはなんだ!?」とのめり込んでいこう、と思うのでした。
それを言葉で説明するっていう矛盾の世界から、勇気をもって遠ざかりたい。
しかし。そのためには、大変な試練を乗り越えないと辿り着けない世界なのかもしれません。
言葉で説明するのは簡単なんです。「私は努力しています」というのは簡単なんです。言葉を使わなくてよい世界に行くためには試練が必要な気がしています。
あぁ。頑張らなあかん。笑。
今日も好き1日を。
読んでいただきありがとうございました。